SOCIAL MEDIA

このページをシェアする

茶摘み歌つれづれ

茶摘み歌 文部省唱歌

夏も近づく八十八夜
野にも山にも若葉が茂る
あれに見えるは
茶摘じゃないか
茜襷(あかねだすき)に菅(すげ)の笠
日和(ひより)つづきの今日此の頃を
心のどかに摘みつつ歌ふ
摘めよ 摘め摘め
摘まねばならぬ
摘まにや日本の茶にならぬ

新緑まぶしい初夏の、のどかな茶摘みのようすを歌った茶摘み歌は、文部省唱歌として親しまれています。でも、この歌は元々、茶畑で働く女性たちが自らを鼓舞するために、即興で作られた歌だったのです。歌にまつわる小さな歴史を紐解いてみましょう。

若い女性が大挙して農村へ

静岡県では昔から、新茶を摘む女性のことをお茶摘みさん、と丁寧に「さん」付けで呼んでいます。明治時代のお茶摘みさんたちは、経済的に困窮して出稼ぎに来るというより、平野部の水田地帯から新緑の山あいへ、楽しみ半分で働きに来ていた若い女性も多かったようです。家族総出で働いても人手が足りない新茶の時期、茶のみる芽を摘みに来てくれるお茶摘みさんは茶農家にとって大切な存在であり、大変気を遣っていました。「さん」付けの呼称からもそれが伝わります。それにしても、若い女性たちが大挙して1週間から10日、泊りがけで来るのですから、村の若者は色めき立ちました。中には交際し、結ばれる男女も出て、そういう夫婦は「茶縁」と呼ばれたそうです。現在でも高級茶は手摘みで摘採されていますが、お茶摘みさんたちの高齢化も懸念されています。

茶摘み歌が生まれたわけ

お茶摘みさんの職場は、陽光うららかな5月の茶畑。鳥がさえずり、風がそよ吹き、とても気持ちの良い場所です。そこで早朝から夕方まで、単調な茶摘みをしていると、どうしても眠気に誘われてしまいます。元々の茶摘み歌は、女性たちが眠気に打ち克ち、労働を楽しむために即興で紡いでいった歌。

ただし、茶摘み歌は全員が一斉に歌うわけではない。声がよく即興的な文句を出せる歌出しさんがいて、その歌に合わせてまわりが「やれ、そうだえ」などと調子を合わせるのである。歌の文句には教訓というか、技術指導的な内容もたくさんあった。

〽お茶を摘むなら 根葉からお摘み 根葉にゃ百貫目の芽がござる

根葉とは茶樹の下の方に生えている新芽のことをいう。昔は茶の木が株ごとに半球状になっていたので、楽に摘める上の方だけでなく、下までちゃんと摘みなさいという意味になる。歌出しさんは、単純労働の眠気をさまし、仕事の効率をあげる大切な役回りだったので、日当もよかったという。(中村羊一郎・他(2012)『〜江戸の名茶から世界の静岡茶へ〜 お茶王国しずおか誕生』財団法人静岡県文化財団 より引用)

茶にまつわる労働の歌とお座敷の歌

女性しかいない茶畑では怖いものなし。たくさんの即興の歌の内容は多岐にわたり、技術指導もあれば、労働意欲を鼓舞するものもあり、中には眠気が吹っ飛ぶような男女の艶っぽい歌もあったのだとか。いくつかの歌が混じり合い、やがて誰もが知る「茶摘み歌」が確立されていきました。その後、茶の摘採の主流が手摘みから鋏になると、お茶摘みさんの姿も茶畑から減っていきます。北原白秋によるコマーシャルソング、「ちゃっきり節」が発表されたのは、年月がだいぶ下って1927年(昭和2年)のこと。言うまでもなく「ちゃっきり」とは、鋏で茶を切る擬音をモチーフにしています。音に敏感な白秋が産業界の技術革新の風潮を捉えたのでしょう。労働の場で自然発生的に生まれた「茶摘み歌」と、プロが作り、芸者衆が三味線とともに歌い踊る「ちゃっきり節」。茶にまつわる歌も、それに伴う女性の労働も、時代によって大きく変わっていくことがわかります。

監修/中村羊一郎(静岡市歴史博物館・館長)

取材・文/朝比奈 綾 撮影/近藤ゆきえ