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なかなか読めない本山茶

当Webサイト「HONYAMA88(本山88)」では、
"本山茶=静岡市北部、安倍川・藁科川上流の中山間地にある茶園で摘採されたお茶" と定義します。


もとやま茶? ほんやま茶!

「みんな、”もとやま茶”って読んじゃうじゃんね」。苦笑いというよりおもしろさが勝っているような表情で、「本山茶」エリアの茶農家さんでさえ、そう言うのです。「”ほんやま”って、ホントになかなか読めないだよ」。エリアと言えば、「本山茶」を安倍川上流の全域、いわゆる「オクシズ」のお茶、と定義するなら清水区の北部も含まれますし、「本山茶」が静岡市全体のお茶を指す場合もあり、実は定義もまちまちで緩やかなのです。しかし、このWebサイトでは、過去の歴史と照らし合わせ、「静岡市北部、安倍川・藁科川上流の中山間地にある茶園で摘採されたお茶」を、「本山茶(ほんやまちゃ)」と定義しました。

本山茶は明治時代の茶の輸出と深い関係が

地元の人もなかなか読めない”ほんやま”。しかも、静岡市北部に”ほんやま”という地名はないため、事更に紛らわしい。それではなぜ、静岡屈指の茶どころは「本山茶」と呼ばれるようになったのでしょうか。理由は明治時代にさかのぼります。
古来、茶園(茶畑)は「ヤマ」と呼ばれてきました。明治時代、国策で茶の輸出が盛んになり、全国に茶畑が増えました。静岡市南部にも新興の茶園が出来始めたのです。その時、古くから茶を作り続けた歴史があり、江戸幕府にも献上していた安倍川奥の茶園を「本ヤマ」、それ以外の新興茶産地(主に静岡市南部)の茶園を「新ヤマ」と、区別するようになったというのが「本山」の由来です。

本山茶は、本当の山のお茶

確かに静岡の山々=茶畑と言っても過言ではないほど、どの山にも茶畑が散見します。冬から春にかけて、ヤマは緑に光っています。ツバキ科の茶の葉は光沢があり、陽の光を反射させるからです。気温が上がり、冬眠状態だった茶の木が目覚めはじめる春。やがて桜が葉桜になるころ茶は徐々に芽吹き、ヤマはエメラルドグリーンに輝きます。静岡のヤマが一番綺麗な季節です。安倍川上流の茶は、江戸時代は「安倍茶」と地名で呼ばれ、美しい色をした「安倍の青茶」は珍重され高値で取引されていました。日本の「青」は「緑」も含み、若々しいこと、小さなこと、幼いことを「青い」と言ったりもします。本山茶は、日照時間が限られた山の斜面で、少しずつ成長する青いお茶。「おらっちが本ヤマだ」と言いたくなるのも分かる、「本当の山のお茶」なのです。

監修/中村羊一郎(静岡市歴史博物館・館長)

取材・文/朝比奈 綾 撮影/近藤ゆきえ